どんなに小さな言葉でも大切にしてほしい。言葉にはエネルギーがあるのだから。

こんにちは、永嶋泰子です。

お天気のすこぶるよかった先週、金曜日。

息子と東京駅へ。

動くもの大好き、電車や車やバスを見るとそれは嬉しそうに笑顔を見せてくれる息子。

東京駅にはベストスポットがあり

息子はパンをかじりながら「う〜ん」とちょっと高めの声を上げて手をバタバタとさせています。

そして、私自身が東京駅(丸の内の出口)から歩いて5分ほどのところにある

皇居が好きなのです。

緑が多いからか、とても空気がよいのです。

勤めていたとき、ランチタイムはお弁当を持って皇居周りをウォーキングするのが日課でした。

「ママ、ちょっと疲れたわ〜」
「ママ、今日も頑張ったよ」

と亡くなったむすめによく話しかけていたのです。

あのころは、満員の通勤電車に乗ることもひと仕事で、次から次に降ってくる仕事を機械的にこなすことすら苦しくて。

些細なことで感情が抑えられなくなり、ちょっときつい言い方をして自己嫌悪になったり。

生きている意味を必死に見出そうとし、そしてどうにか妊娠できないものかとそのことばかり考えていました。

むすめが生きていたら、どうなっていたのだろうか、と想像することもしばしば。

..

….

そばに息子がいるようになってから、むすめに話しかける回数が減りました。

生きている姿を想像することも過去に思いをはせることも、なくなりました。

辛い記憶というのは脳の奥深くにしまわれるのか。

それとも過去を俯瞰して見られるようになった証なのか。

いずれにせよ、日々刻々と時間は過ぎてゆき、どのような記憶も穏やかなセピア色となって静かに保存されるのだと感じます。

むすめを亡くしてからのことは日記に詳細に書いてあります。

しかし、他人の日記を読んでいる気分になることもあるのです。

それと同時に

前向きな気持ちにしてくれた言葉、
体を蝕んだほどの悲しい言葉、
そのままの私でいいと思えた言葉、

そのひとつひとつに向き合っています。

振り返ることで「これが私の原点となったのだ」と気づくことが多々あります。

どんな言葉にせよ、エネルギーがある。

だからこそ、どんなに小さな言葉でもエネルギーがあることを胸に刻んで大切にしてほしいと願うし、伝えていきたいのです。

ここまで読んでくださりありがとうございました。

素敵な午後をお過ごしくださいませ。

永嶋泰子

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